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文化振興係TEL.0247-26-2566

「歴史石川町の文化財概要」

 石川町には数多くの遺跡と文化財があり、歴史の長さを私たちに教えてくれます。

 原始・古代の石川町には、多数の埋蔵文化財(遺跡)が存在します。なかでも、阿武隈川と社川との合流点にある、縄文時代後期から弥生時代中期にかけての鳥内遺跡(県史跡)が全国的に著名です。鳥内遺跡からは、狭い範囲にもかかわらず200個以上の壺や甕が出土し、しかも、地元の土器と一緒に東海地方や九州地方の土器も確認されました。これらの土器の中には人骨が収納されていたことから、墓跡と考えられています。

 また、古墳も多く所在します。沢井の北方、阿武隈川沿いの新屋敷地内に、前方後円墳2基と円墳7基からなる大壇古墳群(県史跡)が、また同じ阿武隈川沿岸の中野地内には、円墳9基からなる横穴式石室を持つ悪戸古墳群(県史跡)があります。

 石川町の中世は、中世石川氏の歴史と言えます。前九年の役(1051〜1061年)に源頼義・義家に従った源頼遠の子・有光が土着したと伝えられますが、実際は後三年の役(1083〜1087年)後、もしくは12世紀前半との見方が強いです。以後、豊臣秀吉の奥州仕置きで領地を没収されるまで勢力をはりました。なお、長泉寺(曹洞宗)には、石川城主17代から23代までの墓地(町指定)があります。

 石川氏が残した遺産の一つに石造供養塔婆(板碑)があります。沢井の安養寺(天台宗)門前には、応長2年(1312)銘のある阿弥陀三尊来迎石造塔婆がありますが、これは石川地方に多い線彫の石造塔婆で、頭部が三角形で切り込み線が入った関東系のものです。なお、石造供養塔婆は町全体で約300基が点在しています。

 石川氏の本城である石川城跡(三芦城跡)は、中心部の三方が急な崖で、西北が空濠で区切られた山城です。本丸跡には石都々古和気神社が鎮座し、応永30年(1423)銘の銅製鰐口(県重文)が納められています。この神社の宮司である吉田家は、自由民権運動家吉田光一の生家で、光一は河野広中とともに東日本で最初の政治結社「石陽社」を設立し、その後、福島事件で弾圧されますが、東日本の自由民権運動に多大な功績を残しました。

 これらの文化財は、石川町の歴史を物語る貴重なものであります。この他にも数々の文化財が存在しています。祖先が残してくれた貴重な文化財は、一度失えば二度と取り戻すことができない財産です。文化遺産を大切に保存し、未来に引き継ぐことは現在を生きる私たちに課せられた責務であります。私たちの身近に埋もれている文化財に注目され、文化財保存に特段の関心とご協力をいただきたいと思います。

このページに関するお問い合わせ先

石川町 生涯学習課

〒963-7852 福島県石川郡石川町字関根165

電話:0247-26-2566