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水郡線現代までの歩み

 

 

 現在の水郡線のもととなる鉄道が茨城県の太田線といわれる線で、太田線は当初、太田馬車鉄道として許可を得て事業に乗り出しました。以降、水郡線の現代までの歩みです。

 

 

明治25年

7月

 

太田馬車鉄道が水戸〜太田間に馬車軌道の特許を受ける。

明治27年

6月

 

太田〜久慈川間の工事を着手する。

 

12月

 

太田〜久慈川間工事が完成。

明治29年

4月

 

太田鉄道は時勢に適合しないとの判断から普通鉄道に変更する旨、国から認可がおりる。

明治30年

11月

 

太田鉄道、水戸〜久慈川間が開業。

明治32年

4月

 

久慈川〜太田間の軌道が完成し、水戸〜太田間全線開通。

明治34年

10月

 

内紛のため太田鉄道は水戸鉄道へ譲渡され、解散となる。
水戸鉄道は既設の鉄道を安く買入れたのに加え、旅客・貨物が大幅に上回る営業収入を得ることが出来、鉄道営業は順調であった。

明治36年

 

福島県東白川郡笹原村(現在の塙町)村会議員白石禎美は、白河〜高萩線を計画し、叔父の白石義郎代議士を通して、鉄道院へ白河〜高萩線を政府が計画した平郡線(平〜郡山間)の比較線として実地調査するよう請願する。

明治43年

 

鉄道院が実地調査を行った結果、平郡線布設を決定する。その後白石禎美は水戸〜白河線を計画し再度建設推進を依頼する。

明治44年

3月

 

第27回帝国議会に第54号議案として、白水線(白河〜水戸間)鉄道建設建議案を政友会の根本正ほか四代議士らによって提出し、本会議において可決通過する。

大正 3年

3月

 

第30回帝国議会を通過するが、予算が計上されず、再度第31回帝国議会に根本正ほか5名の代議士が提案する建議案は、委員会付託となり実行予算が計上され可決される。

大正 4年

11月

 

政変後、総選挙の結果根本正所属の政友会は大敗し、大隈内閣となり水郡鉄道建議案は否決となる。

大正 6年

3月

 

総選挙が行われ、政友会が絶対多数を占める。

 

6月

 

水戸鉄道は上菅谷〜大宮間の鉄道建設工事に着手する。

大正 7年

2月

 

第40回帝国議会に根本正代議士らは水郡鉄道建設建議案を再び提出し、建議案は委員会付託となり可決される。
水郡鉄道は大郡鉄道(大宮〜郡山間)となる。

 

6月

 

水戸鉄道、上菅谷〜瓜連間部分が開業する。

 

10月

 

水戸鉄道、瓜連〜常陸大宮間が開業する。

大正 9年

3月

 

大郡鉄道建設調査のため、東京鉄道建設所長が大子町へ視察来町する。

 

4月

 

大郡線、大宮〜山方宿間の測量を開始する。

大正10年

6月

 

大郡線第一期工事、大宮〜山方宿間を着手。
(第二期工事、山方宿〜上小川間)
(第三期工事、小川〜大子間)

大正11年

12月

 

大郡線、大宮〜山方宿間が開通する。

大正14年

8月

 

大郡線、山方宿〜上小川間が開通する。

大正15年

3月

 

大郡線、西金駅が開通する。

昭和 2年

3月

 

大郡線、上小川〜大子間が開通する。
大郡線、大宮〜大子間は鉄道省によって開通し、水戸鉄道は既に水戸〜太田・大宮間を営業していた。

昭和 2年

12月

 

鉄道省は水戸鉄道を買収し、本線名を大郡線から水郡線と改めた。
また、郡山より南へ伸びる線を水郡北線、大子より北へ伸びる線を水郡南線と称し、南北線それぞれに工事が進行したが、地形的に有利な南線は順調に伸びていった。

昭和 4年

5月

 

水郡北線、安積永盛〜谷田川間が開通する。

昭和 5年

4月

 

水郡南線、下野宮〜東館間が開通する。

昭和 6年

10月

 

水郡南線、東館〜磐城塙間が開通する。
水郡北線、谷田川〜川東間が開通する。

昭和 7年

11月

 

水郡南線、磐城塙〜磐城棚倉間が開通する。

昭和 9年

5月

 

水郡線、水戸〜常陸太田・常陸大宮間にガソリンカーが運転開始される。

 

11月

 

水郡南線を水郡線と改称する。

 

12月

 

磐城棚倉〜川東間が開通し、水郡線全線開通となる。

 

 


石川駅(昭和9年当時)

昭和20年代

 

戦後、トラック輸送、自家用車の出現により、国鉄経営も窮地に立たされた。そこで、無人駅化などの合理化策が打出されたが救いにはならなかった。

昭和27年

9月

 

水郡線、水戸〜常陸大子間に一往復、気動車が導入される。

 

 


気動車・蒸気機関車・ディーゼル車歓送迎会(昭和34年12月)

昭和35年

12月

 

水郡線準急「奥久慈号」が水戸〜磐城石川間に新設される。

昭和38年

10月

 

水郡線太田準急(上菅谷から奥久慈に併設)が新設される。

昭和39年

5月

 

水郡線準急「スカイライン号」「久慈川号」が水戸〜福島間に新設される。

昭和45年

3月

 

動力の近代化に伴い、水郡鉄道管内からSLが全廃される。

 

11月

 

水郡線経営合理化の実施に伴い、常陸鴻巣ほか11駅を無人化とする。

昭和49年

4月

 

水郡線全線一人乗務実施。

昭和54年

7月

 

キハ40系気動車運転開始。

 

 


キハ40系気動車(昭和54年7月)

昭和58年

6月

 

水郡線CTC(列車集中制御装置)化実施に伴い、14駅を無人化とする。
急行「奥久慈」が廃止となる。

昭和62年

4月

 

東日本旅客鉄道株式会社発足。

平成 4年

3月

 

水郡線ワンマン運転開始。キハ110系車両導入。

 

 


キハ110系気動車(平成4年3月)

平成16年

12月

 

水郡線全線開通70周年を迎える。

平成19年

1月

 

新型気動車キハE130系車両を導入。

 

3月

 

西金駅が無人駅となる。

 

 


キハ130系気動車(平成19年3月)

 

 

参考文献
 水郡線ガイドブック「水郡線のルーツを探る」(白石禎美と根本正)
 水郡線開通六拾周年記念

写真協力
 JR東日本 水戸支社
 故 遠藤 正 氏(石川町)