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文化振興係TEL.0247-26-2566

「中世石川町の文化財」

伊達政宗書状
《町指定文化財》

石川町字長久保185-4(石川町教育委員会内)
平成15年9月5日指定

 天正17年(1589)6月、伊達政宗が叔父にあたる石川昭光に宛てた書状です。南奥の戦国の世に、昭光は常陸佐竹氏に従属していましたが、密かに政宗に通じており、天正18年11月4日、起請文を交換し政宗に服属しました。したがって、本書状は、昭光が政宗に服属するに当たっての両者の交渉過程に関わるものであり、石川氏と石川町の歴史にとって重要文書であります。



曲木石造供養塔婆群
《町指定文化財》

石川町大字曲木字坂ノ下81-2 平成8年6月1日指定

 14基の石造供養塔婆群からなります。いずれも石質はデイサイト質凝灰岩です。
完形のものは、いずれも1メ−トルを超える堂々としたもので、碑面中央には胎蔵界大日如来・釈迦如来・虚空蔵菩薩・阿弥陀三尊・金剛界不空成就如来などの種子(梵字)が大きく薬研彫で彫られています。また14基中8基の塔婆には、年号や願文、造立者名などが彫られており、年号はいずれも鎌倉時代後期のものです。特に、胎蔵界大日如来の種子が彫られた塔婆には、『右志者為源祐光・建治元年十二月十二日・聖霊頓証菩提也』の銘文があります。建治元年は1275年で、石川町の石造塔婆中、最古のものであります。
※駐車場有り



薬王寺の版木
《県指定重要文化財》

石川町字高田200-2(石川町立歴史民俗資料館内)
昭和28年10月1日指定

 徳一によって開山されたと伝えられている医王山薬王寺(真言宗)には、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての版木81枚が残されています。内訳は、仁王般若経版木11枚・正慶元年(1332)の銘、妙法蓮華経版木70枚・康暦2年(1380)の銘となっています。これにより、薬王寺が盛んに経文を印刷して布教活動をしていたことが分かります。



石川大蔵院文書
《県指定重要文化財》

石川町字高田200-2(石川町立歴史民俗資料館内)
平成7年3月31日指定

 大蔵院は、中世以来石川66郷、さらには竹貫郷の熊野参詣先達職及び年行事職を任されていた修験の寺です。元禄元年ごろまで八大院と称していました。文書は八大院を経て大蔵院に伝来したものです。2巻14通と文書箱1つが現存します。石川地方の修験の在り方を示す史料として貴重なものです。



石都々古和気神社の鰐口
《県指定重要文化財》

石川町字下泉150 昭和28年10月1日指定

 石都々古和気神社は、石川氏の居城とされる、三芦城(石川城)の本丸に築かれた神社であります。応永30年(1423)に奉納された銅製の鰐口には「奥州石川庄泉村舘之八幡宮之鰐口也応永卅年癸卯卯月五日大旦那源持光別当重慶敬白」の銘があることから、石川持光が寄進したものと分かります。石川地方で最古の鰐口です。





石川公墓地
《町指定史跡》

 

石川町字高田271 昭和51年10月27日指定

 高源山長泉寺は、永享8年(1436年)に開山された曹洞宗の寺で、境内隣接の墓地の中程に、石川氏17代義光から23代晴光まで7代の墓があります。
 24代昭光がこの地を去って400年にあたる平成2年、開基義光550回大遠忌が行われ、あわせて損傷の激しい宝篋印塔や五輪塔の修復工事が行われました。規模は間口が2m75cm、奥行きが1m50cmです。垣根の石柱には寄贈者の氏名が刻まれていました。石塔には「石川駿河守稙光・享禄三伊勢守晴光」の銘も見られます。
※駐車場有り



安養寺石造供養塔婆
《町指定文化財》

石川町大字沢井字東内打305 平成8年6月1日指定

 養寿山安養寺の石造塔婆は、石川地方の特色である線彫の阿弥陀三尊来迎塔婆で、石材はデイサイト質凝灰岩で造られています。「応長二年(1312)壬子正月廿日逝去也」と銘が彫られています。
 碑面中央に来迎印を結び、二重の頭光を負った阿弥陀如来立像が、顔を前に傾けて立ち、踏み割り蓮座にのっています。その右側膝の辺りからは、蓮台を捧げ持った観音像を、左側に合掌する勢至像を、中尊と同じく二重の頭光のもとに並び立ち、共に頭を傾けて右方を見つめています。弥陀の白毫から発する二条の光明は、次第にその巾を広げて照らし、石面の右辺に至ります。その光明の下に合掌趺坐する念仏行者像が、小さく陰刻されています。
 この塔婆の特徴的なことは、浮彫と線彫の両形式が一体化した技法が用いられていることです。
高さは118cm。表面に朱色に塗られた痕跡も認められます。
※駐車場無し



和久石造供養塔婆群
《町指定文化財》

石川町字和久299 平成8年6月1日指定

 かつて薬師堂があったと伝えられるところに、線彫阿弥陀一尊塔婆・線彫阿弥陀三尊来迎塔婆・浮彫阿弥陀一尊塔婆の3基の石造塔婆があります。
 線彫阿弥陀一尊塔婆は、二条の切り込み線が三面を廻り、三尊来迎塔婆と同じ手法で阿弥陀如来が彫られ、蓮座の上に立ち、全体に彩色が施されています。これら線彫の技法は関東地方に多く見られる形式です。
 線彫阿弥陀三尊来迎塔婆は、碑面中央部の空間いっぱいに三尊像を刻み、頭光を彫り窪め、その中に頭部を陽刻し、弥陀の白毫から発する二条の光明が、石の右端まで伸びています。この形式は死者を極楽浄土の世界に導く姿を表しています。
 浮彫阿弥陀一尊塔婆は、阿弥陀如来坐像と蓮座が一体的に陽刻され、衣文と蓮座はともに線刻で表現され、この形式は特に岩瀬地方に優れたものが多くみられます。
 3基ともデイサイト質凝灰岩製です。なお、石川地方の画像塔婆は線彫が主流でありますが、これらの石造塔婆には、浮彫と線彫の両方の形式が見られることが特徴です。
※駐車場無し



舘石造五輪塔
《町指定文化財》

石川町大字沢井字舘81 平成8年6月1日指定

 石川氏の一族である沢井氏の居城跡と伝えられる、沢井城跡の東側中腹にあります。高さ171.5cmで、五輪全てに梵字が刻まれていますが、空・風輪は後世に造られたものです。
 特徴的なのは火輪の軒反り、軒勾配、軒厚に古式五輪塔の面影が濃く残されていることです。また地輪も上部がせばまり、下部が広く扇状となるなど、古式五輪塔より崩れた移行期の姿を示していることから、鎌倉時代末期から南北朝時代初期の造立とみられます。
※駐車場無し



迎森一文書
《町指定文化財》

石川町字高田200-2(石川町立歴史民俗資料館内)
平成3年3月25日指定

 石川氏第24代の石川昭光が、天正17年(1589)、伊達政宗に帰属することになり、領地であった石川から須賀川へ移されることとなります。このため、本状にある給分の変動があったと思われます。つまり天正18年(1590)、石川昭光が石川の地を離れる年に書かれた文書であります。なお、迎家宅裏には、松森館跡があります。



谷地木造千手観音菩薩立像
《町指定文化財》

石川町大字谷地字竹ノ花地内 平成5年5月1日指定

 白花山正法寺観音堂の本尊である谷地木造千手観音菩薩立像は、鎌倉時代後半に造立された仏像です。全高104.3cmの11面42臂像。檜材で、頭部を前後に二材を矧ぎ、首の下で体躯に差込み、体躯は四材を矧ぎ、両肩部にそれぞれ矧ぎ付ける、寄木造の本格的な技法で造られています。繊細で写実的な造形から、鎌倉時代に中央の仏師によって造立されたものと考えられます。造立にあたっては、この地の領主層である石川一族の関与が想定でき、歴史資料としても重要です。澄んだ表情の顔貌に伸びやかさのある体躯、衣の襞の彫出にも洗練さが伺え、美術的にも優れた造形を示している貴重な仏像です。
 なお、平成27年度から28年度にかけて修復が行われました。持物と天衣垂下部を除く全ての欠失箇所の新補、白毫に水晶を配置、像表面の乾式クリーニング等が施されました。修復の際、両脇手台木から墨書による文字資料が新たに見つかりました。「くわんをん(観音)」「ミなもとの(源)まこ(孫)大らう(太郎)のぶミつ(信光)」「延文五歳(北朝年号で1360年)かのへねのとし(庚子年)七月十三日」「小旦那」「イナバ」「一貫文一斗」「ミゾイ」等の文字が判読できます。このうち、延文5年の年号については、修復の監修にあたられた若林繁先生(県文化財保護審議会委員)によると、体躯と脇手を支える箇所の台木に書かれていることから、造像銘ではなく、修理を行った際のものであるとされています。
※駐車場無し



吉田光一文書
《町指定文化財》

石川町字下泉150(石都々古和気神社所有)
平成3年3月25日指定

 石都々古和気神社の宮司で、初代石川町長でもあった吉田光一が所有。中世期に石川氏の居城とされる三芦城(石川城)に鎮座する、石都々古和気神社に伝わる文書です。「福島県史7中世編」には9通あったとありますが、伊達政宗書状1点が所在不明とあり、現在は8通が残ります。

このページに関するお問い合わせ先

石川町 生涯学習課

〒963-7852 福島県石川郡石川町字関根165

電話:0247-26-2566